札幌地方裁判所 昭和43年(ワ)1986号 判決 1972年2月12日
原告 松本スイ
右訴訟代理人弁護士 岩沢誠
同 能登要
右岩沢訴訟復代理人弁護士 高田照市
被告 森永乳業株式会社
右代表者代表取締役 大野勇
<ほか一名>
右両名訴訟代理人弁護士 金田充男
主文
一、被告らは、各自、原告に対し金七、五四三、〇一三円および内金七、〇四三、〇一三円については昭和四三年一月二三日から、内金五〇〇、〇〇〇円については昭和四七年二月一三日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告のその余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを三分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。
四、この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
第一、請求原因第一項(事故の発生)および第二項(責任原因)の事実は、被告稲田に本件事故発生につき過失があったとの点を除き、すべて当事者間に争いがない。
第二、そこで、以下、被告稲田の過失の有無、被告会社主張の自賠法三条但書所定の免責事由の有無および過失相殺の適用について判断する。
≪証拠省略≫を総合すると次のような事実を認めることができる。
一、本件道路は苫小牧方向より札幌方向に通じる国道で、道路中央の幅員六・五メートルのアスファルト舗装部分およびその右端(北側)にある幅員二・五六メートル、左端(南側)にある幅員二メートルの各非舗装部分よりなる歩車道の区別のない直線道路である。本件道路の左側(南側)には千歳空港があり(衝突地点より約四六メートル東方には同空港出口が設けられている。)、現場はいわゆる非市街地であって車両の交通量は多く、当時も何台かの対向車両があったが人の通行は少い方である。見通しは良好であるが、当時の天候は曇りで、路面は積雪のため凍結しており滑り易い状態であった。本件道路の中央アスファルト舗装部分をはさんで衝突地点より前方約一五メートルの左側非舗装部分と約六メートル右側の非舗装部分にそれぞれバスの停留所があり、その標識が設置されている。本件事故現場付近には横断歩道はない。また、格別の交通規制もない。
二、被告稲田は、当日午前九時ごろ加害車を運転し先行車両との間隔を約三〇メートル位に保ちながら時速約六〇キロメートルで本件道路を札幌方面に向って西進し、本件事故現場にさしかかった。そのころ、かなりの速度で進行する対向車両(大型貨物自動車)が何台かあった。しかしながら、そのために右前方の非舗装部分の状況が見通せないというほどのことはなかった。そして、その四、五台目とすれちがった直後、本件道路を右から左に横断して舗装道路の中央部分より若干左側に寄った地点(本件道路左端から約五メートルの地点)まで小走りに進出してきた亡次郎を約一一メートル手前で始めて発見し、直ちに急制動の措置に出たがすでに及ばず、自車右前部を亡次郎に衝突せしめた。亡次郎は右衝突地点より右斜め前方に約六メートルはねとばされ、加害車は衝突後約三〇メートル進行して停止した。
三、当時、被告稲田は本件道路を横断する歩行者はいないと考えており、追突の危険を避けるため、もっぱら先行車両の動静(ストップランプ等)にのみ注意し、道路左右に対しては十分気を配っていなかった。なお、被告稲田は月一、二回位づつ本件道路を進行し、事故現場付近の状況には慣熟しており、バス停留所のあることも知っていた。
四、一方、亡次郎は衝突地点に至るまでに加害車の進行に気づいた様子はなかった。また、亡次郎は「空港前停留所」でバスを降りて出勤途中であった。
ところで、被告稲田は対向車両のために右前方を見通すことはできなかった旨供述するが、事故直後の同人の警察官に対する供述調書によれば「右斜め前方の注意がおろそかになっていたことは事実です」と述べており、また検察官に対する供述調書では「対向車両の間隙からも横断歩行者がいることは見ていません」とあることに照らし措信しがたく、他に以上の認定を左右するに足る証拠はない。
以上認定した事実関係に基づき被告稲田の過失の有無を考えるに、本件事故現場付近にはバスの停留所があり、また千歳空港出口も近い上に当時は丁度会社等への出勤時にあたっておりバスを利用する通勤者などの歩行者が本件道路を横断すべく路上に進出することのあることは十分予見しえたところであり、しかも当時、路面が凍結していて車両等はスリップし易い状況で、横断歩行者を発見すると同時に急制動をかけてもその速度いかんによっては制動距離の関係からはなはだ危険な事態を生ずるおそれがあったのであるから、このような場合、自動車運転者としては絶えず進路の前方左右に対する注視を怠らず、自車の進行してくるのに気づかずに進路前方を横断しようとする歩行者の行動をいちはやく発見することにつとめるとともに、危険を察知したならば急停車する等して安全に避譲することができるような速度で進行し、もって事故の発生を未然に防止すべき注意義務がある。してみると被告稲田は前示のように、制限速度内であるとはいえ時速約六〇キロメートルの高速で進行し、しかも先行車の後尾のみに気をとられ進路右方に対する注意を怠ったのであるから、この点に同人の過失があるものといわざるを得ず、同人において前記注意を尽していれば横断しようとしている亡次郎の動静をもっと早い段階で発見しえたし、急停車等の措置をとれば本件事故の発生を見ることもなかったことは明らかである。
以上のとおり、被告稲田の過失が認められるのであるから、被告会社の自賠法三条但書の免責の主張は、その他の点について判断するまでもなく理由がないので被告会社は加害車の運行供用者として又、被告稲田は不法行為者としていずれも本件事故によって生じた後記認定の損害を賠償すべき責任がある。
他方、交通のひん繁な国道上の横断歩道でない箇所を、左右の安全を十分確認することなく不用意に横断しようとした亡次郎の過失も大きいといわざるをえず、その他右に認定した本件事故の態様に鑑みれば、その過失の割合は被告稲田につき五割、亡次郎につき五割と認めるのが相当である。
第三、そこで、亡次郎および原告が本件事故により被った損害について判断する。
一、亡次郎の得べかりし利益の喪失について
1、逸失給与(諸手当を含む)相当分について
≪証拠省略≫を総合すると、亡次郎は大正一二年五月一六日に出生し(この点は当事者間に争いがない。)、本件事故当時、満四四才八月の健康な男子であって妻子はいないこと、旧制中学校卒業後昭和一六年二月一七日、樺太庁観測所に臨時雇員として勤務し、同年八月三〇日雇員となり、同一八年四月一日樺太地方気象台において雇を命ぜられ、同年七月一五日気象技手に任ぜられていること、昭和一九年三月一日から同二〇年二月二七日までの間、現役兵として入営したため休職し、同年三月一日から再度休職中のところ同二一年二月二八日休職満期になったこと、昭和二二年七月一五日舞鶴に上陸復員して翌二三日四月九日札幌管区気象台観測課に勤務したこと、昭和二四年三月三一日運輸技官に任ぜられ同三一年一〇月一日札幌管区気象台技術部観測課第二地上係長に昇任し、同月一六日小樽測候所業務係長に配置換されたこと、その後昭和三七年四月一日千歳航空測候所業務係長に配置換されて以来、本件事故に至るまで同測候所に勤務しつづけていたこと、亡次郎は昭和三二年四月、等級制実施による俸給制度の全面改正にともない行政職(一)六等級に決定され、翌三三年四月一日行政職(一)五等級に昇任し四号俸を給されて以後、少なくも毎年一回の割合で一号俸上位の号俸に昇給しており、昭和四二年七月一日に五等級一三号俸になり本件事故時に至ったものの、その間、一度も特別昇給されたことがないこと、亡次郎の本件事故時における俸給月額は六一、三〇〇円であること、同人が昭和四二年中に行った超過勤務時間の合計は三四〇時間で月平均二八時間(端数切捨)の割合であること、また同年中に受給した宿日直手当の合計額は一三、六二〇円で月平均額は一、一三五円であること、気象庁職員として満六〇才に至った際には勧奨により退職するのが気象庁内部の慣例であること、そして、前記認定の亡次郎の健康状態に厚生省発表の第一二回生命表をあわせ考えれば、亡次郎は本件事故がなければ満六〇才に達するまでの爾後一五年四箇月間は気象庁職員として勤務し、退職後もなお一二年間は存命しえたことがそれぞれ認められ、これを左右するに足る証拠はない。
(一) 昇給およびベースアップについて
以上認定した亡次郎の学歴、過去の経歴、過去の昇給の経過、現官職、現等級号俸などを基礎として一般職の職員の給与に関する法律(以下、「給与法」という。)人事院規則、人事院よりなされる各種の通知などに従って考えると、亡次郎はもし本件事故がなかったならばその退職に至るまでの間、少なくとも別表第二「等級号俸」欄記載のごとき昇給をとげ、同表「基本給」欄記載のごとき俸給を受け得べかりしはずであったことが認められる。
ところで原告は亡次郎が昭和四五年七月には四等級に昇格するであろうこと、また昭和四六年六月までに現実に実施されたベースアップを考慮すること、そして同四六年七月以降は定期昇給とベースアップの両方をあわせ毎年少なくも六パーセントづつ基本給の上昇がある旨主張する。そこで、まず亡次郎の昇格の可能性について考えるに、そもそも公務員の昇格は人事院規則九―八、二〇条に定める一定の必要経験年数または必要在級年数を有しているか否か、および当該等級の定数に欠員があるか否かなどの客観的条件と当該等級の標準職務の内容に対応する業務遂行能力、適性等が当該職員にあるか否かという主観的条件とに従って決せられるものである。そして、行政職(一)等級別標準職務表記載の四等級の職務内容はその複雑性、困難さなどからいってかなりの管理能力が必要とされる職務であるところ亡次郎に右のごとき能力、適性等があったと認めるに足る証拠もなく、定数に欠員があったかどうか、勤務先測候所の人的構成などについても何らの立証がない。もっとも≪証拠省略≫によれば亡次郎は三等級特一号俸に至るまで昇給、昇格する旨の記載があるけれども、同人の学歴および過去一度も特別昇給していないこと、そして右のような昇格の基準とを考えあわせると、にわかに措信しがたく、他に同人の昇格を適確に認めるに足る証拠はない。従って右の点に関する原告の主張は理由がない。
次にベースアップについて考えることとする。国家公務員について行われる、いわゆるベースアップは、官民給与の較差を是正する目的で人事院が勧告し、立法化されることによって実施されるものであるが、これには、貨幣価値の下落に伴う名目額の修正としての要素と市場における労働力それ自体の高騰化、すなわち、実質賃金の上昇としての要素との二つの面が含まれているものと考えられる。ところで、右のうち実質賃金の上昇部分については、それが立証される限りにおいて、労働力喪失による損害額算定の基礎として考慮してよいのは当然である。しかしながら、労働力それ自体の実質的価値は一定であるのに拘らず、貨幣価値が変動したことによって生じる名目賃金としての上昇部分については、それが口頭弁論終結時までの間に具体的に生じた限りにおいて損害額算定の基礎とすれば足り、右時点以降についてはこれを考慮すべきではない。
ところで、昭和四三年一二月二一日、給与法の改正(法律第一〇五号)により、いわゆるベースアップがなされ、改正俸給表は同年七月一日から適用され(附則二項後段)、昭和四四年一二月二日にも同じようにベースアップがなされ(法律第七二号)、改正俸給表は同年六月一日から適用され(附則二項)、また、昭和四五年一二月一七日、同じくベースアップがなされ(法律第一一九号)、改正俸給表は同年五月一日から適用され(附則二項)ているから、この限度でベースアップを考慮すべきとする原告の主張は認めることができる。
しかしながら、原告は将来にわたってもベースアップがなされることを考慮すべきであると主張するが、単に過去において毎年ベースアップがなされてきたという一事をもってしては、将来の複雑な経済動向を適確に予測しうるものではなく、右事実のみをもってしては今後も同様にベースアップがなされるであろうとはいえないばかりか、仮にそのように認められるとしても、そのうち、実質賃金上昇部分がいかほどであるかを確知するに足る証拠はない。従って、昭和四六年以降については口頭弁論終結時における最新の給与体系である昭和四五年度の俸給表によって亡次郎の逸失給与を算定するほかない。
(二) 超過勤務手当について
亡次郎が昭和四二年中になした超過勤務の一箇月当りの平均は二八時間であることすでに認定したとおりであり、今後も勤務を継続していれば、少なくも毎月、右と同じ程度に超過勤務をなし得たであろうと推認できる。従って、給与法一六条、一九条、人事院規則により算出される超過勤務一時間当りの単価に二八時間を乗じて算定すれば、別表第二「超過勤務手当」欄記載のとおりである。
(三) 宿日直手当について
すでに認定したとおり、昭和四二年中に亡次郎が得た宿日直手当の一箇月平均の額は一、一三五円であるから、今後も勤務を継続していれば少なくも原告の主張する一、一〇〇円は毎月、宿日直手当として受給しえたと推認しうるので、別表第二「宿日直手当」欄記載のとおりとなる。
(四) 期末手当、勤勉手当について
国家公務員に支給される期末、勤勉手当の率は給与法に定められており、事故時から昭和四四年五月までの間は、当時の給与法によれば「俸給および扶養手当の月額ならびにこれらに対する調整手当の月額の合計額」に対し、三月はその一〇〇分の五〇、六月はその一〇〇分の一四〇、一二月にはその一〇〇分の二五〇であったが、昭和四四年、改正された給与法(同年法律第七二号)により、昭和四四年六月から昭和四五年四月までの間は、三月にその一〇〇分の五〇、六月にその一〇〇分の一四〇、一二月には一〇〇分の二六〇となった。そして、さらに昭和四五年、給与法の改正(同年法律第一一九号)によって、昭和四五年五月からは、三月にその一〇〇分の五〇、六月にその一〇〇分の一六〇、一二月にはその一〇〇分の二六〇と増加されたものである。従って、亡次郎は、事故時から退職時までに少なくとも別表第二「期末・勤勉手当」欄記載のとおりの期末・勤勉手当を受給しえたものと認められる。
(五) 生活費等の控除について
(1) 共済長期掛金
後記のとおり、亡次郎の得べかりし退職年金をも本件事故による損害となすべき場合には、事故後亡次郎において負担すべかりし共済長期掛金を同人の俸給より控除すべきものである。
そして、亡次郎の負担すべき右掛金額は、国家公務員共済組合法一〇〇条二項、国家公務員共済組合連合会定款二八条の二および≪証拠省略≫によれば、俸給の一、〇〇〇分の四四である。従って、別表第二「長期掛金」欄記載のとおり右割合で算定された掛金額を亡次郎の俸給より控除する。
(2) 生活費
既に認定の亡次郎の生活状況に鑑みれば同人はその収入の五〇パーセントを生活費にあてざるを得なかったと認められるので、これを右収入より控除すべきである。なお、被告らは亡次郎の収入より所得税等の公租公課をも控除すべきであると主張するが、所得税法九条一項二一号の法意からして控除することは相当でない。
(六)、中間利息の控除
しかして、基本給、超過勤務手当、宿日直手当、期末・勤勉手当の合計額から共済長期掛金および生活費を控除した亡次郎の年間損害額は別表第二の「純収入額」欄記載のとおりとなるが、これを死亡時に受けとるものとして、各年ごとにホフマン式計算を行い、年五分の割合による中間利息を控除すると同表第二「現価」欄記載のとおりになる(なお、控え目に算定する意味で、係数の適用にあたっては昭和四三年一月一日を基準時としてその年数を計算した。)。そして、その合計が亡次郎の給与(諸手当を含む)についての得べかりし利益の額となる。
2、退職金相当分について
亡次郎が満六〇才まで勤務し、勧奨により退職するとすれば、同人の勤続年数は通算四〇年余になるので、同人が受けうる退職金の額は国家公務員等退職手当法五条一項、六条により、退職時の俸給月額の六〇倍である五、八九八、〇〇〇円となる。そこで、これにホフマン式計算を行い年五分の中間利息を控除して亡次郎の死亡時の現価を求めると、三、二七六、三三九円となる(なお、死亡時から退職時までは一五年四月であるが、控えめに算定する意味で一六年の係数で計算した。)。ところが、≪証拠省略≫によれば、本件事故による亡次郎の死亡にともない、その唯一の受給権者である原告に二、九四三、七二四円の退職金が支給されていることが認められるから、これを控除した残額三三二、六一五円が同人の退職金に関する損害となる。
3、退職年金相当分について
前記のごとく、亡次郎が満六〇才に達し、昭和五八年五月一五日に退職するとすれば、同人の勤続年数は四〇年余になり、国家公務員共済組合法および国家公務員共済組合法の長期給付に関する施行法により、昭和五八年六月から同人が満七二才に達する昭和七〇年五月までの少なくも一二年間は一定額の退職年金を受領することができるはずである。そして、その年金額は右共済組合法七六条二項、四二条二項およびその運用方針(蔵計二九二七号)によると、亡次郎の場合、退職時以前の三年間における俸給総額に三分の一を乗じてえた同人の俸給年額の一〇〇分の七〇である八一四、一九四円(円未満切上げ、国家公務員共済組合法一一五条一項)となる。ところで、亡次郎は本件事故がなければ、右年金を得べかりしであったと同時に、生活費の支出を免れたはずであるから、その生活費を控除すべく、右生活費としては右年金収入の五〇パーセントを要するとみるのが相当であるので、これを控除した残額四〇七、〇九七円が亡次郎の得べかりし退職年金の年間損害額となる。これをホフマン式計算を行ない年五分の中間利息を控除して亡次郎の死亡時における現価を算定すると(年金現価率は、17.2211-11.5363=5.6848とする。)二、三一四、二六五円(円未満切捨)になる。これが、亡次郎の退職年金に関する損害である。
二、亡次郎の財産的損害額について
以上のとおり、亡次郎の本件事故なかりせば得べかりし利益の合計は一一、六八六、一九七円と算定されるところ、更に本件事故による亡次郎の診療費として一四〇、三四六円、病院における電話料として二、一九五円、葬儀費・葬儀関係費・死亡広告費として計四五三、三九〇円、交通費として四、二四〇円、以上合計六〇〇、一七一円の費用を要したことは当事者間に争いがないのであるから、結局、亡次郎の被った本件事故に基づく財産的損害は右合計一二、二八六、三六八円と計算されることになる。
そして、第二項において認定したごとく、本件事故における亡次郎の過失を斟酌すれば、被告らに負担させるべき額は右のうち六、一四三、一八四円をもって相当とする。
三、原告の相続について
原告が亡次郎の母であり、その唯一の相続人であることについては当事者間に争いのないところであるから原告は亡次郎の右損害賠償請求権を相続により取得した。
四、原告の慰謝料について
≪証拠省略≫によれば、原告は明治二四年一月二六日生れで本件事故当時七七才の高齢であること、亡次郎は次男であること、勤務の関係上、亡次郎は原告と同居してはいなかったが、月二回位は小樽に戻っていたこと、を認めることができる。
以上のような事実のほか第二項で認定した本件事故の態様、亡次郎の過失、その他、諸般の事情に鑑みれば、原告が亡次郎を失ったことによる精神的苦痛を慰謝すべき額は一、五〇〇、〇〇〇円とするのが相当である。
五、消滅時効の抗弁について
原告は、昭和四三年一二月二一日の本訴提起によって、本件事故に基づく不法行為を原因として、(1)亡次郎の被った財産上の損害賠償請求権二八、二二三、八八四円の相続債権、(2)原告自身の慰謝料請求権二、〇〇〇、〇〇〇円、(3)弁護士費用二、二五〇、〇〇〇円、以上合計三二、四七三、八八四円のうち二五、〇〇〇、〇〇〇円の支払を求め、その後昭和四六年四月二八日提出の準備書面において、(1)亡次郎の財産上の損害賠償請求権の算出基礎に新たに同人の得べかりし退職年金相当分を追加するなどして、これを四一、二七一、〇〇〇円とし、(2)原告の慰謝料を一、〇〇〇、〇〇〇円増加して三、〇〇〇、〇〇〇円とし、(3)弁護士費用の二、二五〇、〇〇〇円は変りなく、以上合計四六、五二一、〇〇〇円のうち従前どおり二五、〇〇〇、〇〇〇円の支払を求めていることは本件記録に徴し明らかである。
してみると、原告の請求額それ自体には何らの変更もなく、ただその算出の基礎を増加しているにすぎないのであり、しかも右退職年金相当分なるものも、それが独立して一個の請求権になるのではなく財産上の損害賠償請求権を算定するための一資料たるに過ぎないのである。このように、請求を拡張しているわけでもなく、単にその請求額を導きだすための全体額を増加したからといって、その増加部分について時効の成否が問題になる余地がないことは明らかである。従って、被告らのこの点に関する主張は理由がない。
六、損害のてん補と弁護士費用について
結局、原告は本件事故による損害賠償として右二と四の合計七、六四三、一八四円から被告会社より一部弁済金として受領したことに争いのない六〇〇、一七一円を控除した残額七、〇四三、〇一三円を被告らに対し請求しうることとなる(なお、原告が一、五〇〇円相当の見舞品を受領したことは、当事者間に争いのないところであるが、これをも一部弁済として控除するのは妥当でなく、慰謝料算定の一斟酌事由となるに過ぎないものと解する。)。そして、弁論の全趣旨によれば、原告は本訴の提起追行を本件原告訴訟代理人らに委任し、その報酬として本件訴額の一割を本判決言渡しの日に支払うことを約したことが認められるので、本件事案の性質、難易、その他本訴にあらわれた一切の事情を考慮して、そのうち被告らに賠償せしめるべき額を五〇〇、〇〇〇円とするのが相当である。
第四、結論
よって、被告らは各自、原告に対し右合計金七、五四三、〇一三円とこれより弁護士費用を除いた金七、〇四三、〇一三円については本件事故の日の後である昭和四三年一月二三日から、弁護士費用金五〇〇、〇〇〇円については本判決言渡しの日の翌日から、各完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、右の限度で原告の本訴請求を認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、仮執行免脱の宣言はこれを付するを不相当と認め、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 惣脇春雄 裁判官 村上敬一 佐藤久夫)
<以下省略>